ちゅらぷろインタビュー vol.11 人生のターニングポイント、これから…夢 レイ企画代表 中村はる美さん

皆さんこんにちは。本日はちゅらぷろインタビュー「人生のターニングポイントとこれから夢」ということで、レイ企画代表 中村はる美さんにお話を伺います。


化学染毛剤アレルギーを発症した経験から、オーガニック琉球ヘナと琉球藍の商品を生み出した中村はる美さん。

3人の子を育てるシングルマザーでありながら、事業を始めたことは「無謀」と周りに言われながらも、やり遂げれらた「理由(わけ)」をお伝えします。

幼少期から不思議な体験を重ねてきたことで、悩みを抱えている方の人生においてのキーパーソンとなる人を霊視することが得意とのこと。そのお陰で、商品化に至るまで、幽体離脱をきっかけに苦難の12年の間に夢に現れ、励ましてくれた謎の男性の存在が大きな力となりました。

現在は(株)レイ企画代表として、多くの方に愛される地域資源活用の製品を送り出しています。

名前は中村はる美、株式会社レイ企画の代表をしております。1961年那覇市首里生まれ。

店舗の立ち上げ等、企画全般のコンサルティングを手掛けてきました。現在は化粧品の製造をメインにしています。
主力商品の国産植物染毛料第1号として、オーガニック琉球ヘナと琉球藍を研究・開発・商品化を行っています。

偶然なのか必然なのか、2007年にある人からヘナの苗木を貰いました。貰った瞬間「魔法の木だ!」と直感が働き、栽培研究を開始しました。ですが、研究の第一歩を踏み出したものの、研究なんて専門ではないので右往左往。

しかし、しばらくして、研究に必要な情報がどんどん入ってくるわ、体が勝手に必要としている場所に行くわで、自分の考えたことや思いついたことをイメージすると研究に必要な多くの人と出会ったりしたことで、専門家の力を借りることができ、唯一無二の植物染毛料を作り上げることが出来ました。

思い起こせば、ヘナの苗木をくれた人に出会ったことや研究開発という行動に至る前に、私はかつてない不思議な体験をしています。

私は、長い間シングルマザーでありながら、色んな仕事に携わっていましたが、ある日、突然仕事を失うという前代未聞の事態が起きました。

三人の子供が進学中でお金がかかる時期に収入がいきなり途絶え、先が見えない恐怖に「まぶい(魂)が落ちて」抜け殻状態になってしまったのです。思考力が低下して数日が経ったころ、生まれて初めて幽体離脱を経験しました。

幽体離脱って、上空から自分を見るっていう感じの状況になるんですけれども。上空から見える、倒れてる自分を叩き起こす人がいて、本当にもの凄い力で叩き起こされたことによって私はこの世に戻って来ました。

その叩き起こされる前に、私はとても精神的に病んでいて「あの、どなたが存じませんが、もう寝かせてください」って懇願しました。しかし、私を叩き起こしたその人物は「あなたはこれからやることがあるんですよ、起きてください、寝てる場合じゃないですよ。」って言いながら叩くのを止めません。

私は38歳に離婚してから、シングルで子育てをしながら仕事をしていたので、とりあえず疲れ果ててたんですね。

人に裏切られ本当に大変な状況を過ごしているのに
「あなたは今まで怠けてきたでしょう」
「これからやることがあるんですよ」
っと言われ、叩かれた痛さのあまり自分のベッドに戻って来た、って感じです。

起こされたことで私には、これから何かやるべきことがあるんだなって漠然と思いました。

それから数か月経ったころ、あるイベントがきっかけでヘナの苗木をくれた方と出会ったんです。

そこからもう背中を押されたように何がなんだか分からない状態で、とにかく畑を借りて、苗木を植えたり、体が勝手に動き、どんどん研究開発が進んでいって、琉球藍においては製造特許まで取得し商品が完成した。っていう不思議な結果になりました。

だから、もうどこがターニングポイントか分からないんですけど、離婚をした時がターニングポイントなのか。

あるいはその幽体離脱をした時に、私がこの世ではない場所で、私を叩き起こしてくれたその男性の登場が、ターニングポイントだったのか不明ですが、いつの間にか、もの作りを始めてた状態です。

その後、商品が完成するまでに私を叩き起こした男性が3年越しに、夢に現れたんですね。
最初に現れた時を含め、その方は4回出てきたんですよ。12年の間に。

私を叩き起こした3年後に「あなたは頑張ってますね、でも茨の道はこれからですよ」と言って消え

それからまた3年後に現れ「あなたは、本当によく頑張ってますね、もう少しですよ」と言ってまた消えて、更に3年後に現れて「もう大丈夫ですね、よくやりました。ここまで本当に頑張りましたね。」と言って消えて。

そして4回目は微笑むだけで消え、それが最後になりました。時折、励ますために現れた人物はいったい誰…謎です。

だからもう、なんて言うんでしょう。

結局、私がやってきたことは、科学的なことなんですけど、分析をしたり、安全性試験をするとか、色々ある中で、その都度どこに進むべきなのか、っていうのは、どこからともなくやってくる情報のお陰で、的確にその場所に辿り着き、商品が完成したっていうことは不思議なことです。もちろん、現実的に農家さんやスタッフの力もありますが。

ただ、もう振り返ってみても本当に不思議なことだらけですね。

幽体離脱は初めての経験で、もしかしたらそれがターニングポイントだったのかもしれない、と最近は考えています。
もともと、私は幼少期から幽霊とか見えていました。成長すると共に見えなくなりましたが。

向かいから歩いてくる誰かとすれ違うっと思った瞬間、私の体を抜けていく幽霊や、顔のない人が部屋を覗き込んでるとか、古い井戸の上に綺麗な白いおばあさんが立ってるとか、普通にあちらこちらで見てたんですよ。

必要としてる人がどんどん増えてきて、昨年は琉球藍が不作で、品薄になると全国から「早く欲しい」「これしか使えない」っていうお言葉を頂けたり、必要とされていることに感謝しています。とても嬉しいです。
必要な方には必要な分、ちゃんと届けられるように更に精進しなければ、と心の底から思いました。

琉球藍がアトピー性皮膚炎を患っている人に使えることは、商品を完成させた後に知ったことで、オーガニック琉球ヘナに続き沖縄インディゴを作り上げたのは、ソーシャルビジネスとして必然的なことだったんですね。

元々琉球藍は、沖縄で300年以上前から染料として使われていた植物です。

新規性のオーガニック琉球ヘナを開発して、市場に出した後に、黒染め希望の方に使う藍の植物をいつまでも輸入物のマメ科の植物ナンバンコマツナギに頼るのもどうかなって思った時。

琉球藍が、昔、中国ではお茶に混合して飲まれてたっていう情報を得て、それなら頭皮にも、と、いうところから白髪染め用に開発して、製造特許を取得し商品化したわけです。

現在、自社工場があって、作業工程の一つである葉の洗浄を障害者の人たちに手伝ってもらっています。

障がいを持った人たちも含め、みんなでできる仕事なので、もうちょっと工場を拡大して、みんながのびのびと作業し易い環境を作りたいなっていう夢はあります。

私の夢というか目標なんですけれども、90歳までは仕事したいなっていうところです。
ずっと働きたいので、そのためには、まず、体力作りをするために色々やってます。最近、ヨガやテニスも始めました。

仕事ができる間は、社会貢献をしながら頑張っていきたいなって思ってます。

子育て、仕事、よく頑張ったね!ぐらいですかね。

もう本当にとりあえず頑張りましたね。父も早くに他界したので、私は幼少期から大変で、23歳で結婚してからも離婚を経験し、世間一般には波乱万丈に見えていたかもです。ずっと大変だったので、落ち込んでいる暇はありませんでした。

レイっていうのは、輝くっていう意味なんですね。

19年前に法人化したのですが、個人業の時代からずっと企画が専門。
当時からずっと輝く企画をやり続けたいっていう思いを込めて命名しました。

皆さんへのメッセージ

とりあえず皆さんには、「一歩踏み出しましょう!」っていうことですかね。

まず勇気を持って一歩踏み出すことによって、世界が全て変わっていく、これはもう経験上、本当に言えますね。
勇気を出してとりあえず踏み出してみる。

石橋を叩いても渡らない人、結構多いんですけれども、時間が勿体ない。
石橋叩く前に一応、一歩踏み出してみる!と、本当に違う世界が見えてくるんです。これは明らかです。

だから、「一歩だけでも踏み出してみましょう」っていうことですね。

私は、謎の男性のお陰でこの世に舞い戻ってきて、現在に至りますが、きっと、本能に従い勇気を出して、一歩一歩進んできた結果、数えきれないほどの多くの人たちとの出会いで、豊かな気持ちを持つことができています。

幽体離脱とか特別なことはなくても、一生に一度や二度の出会いによりチャンスは頂けるものです。
そのチャンスを生かすのは勇気しかありません。

シングルマザーで、ずっと私が子供たちのことを一生懸命にやってきたかなって思っていたけど、そうじゃなくて、子供がいたからやれたっていうことが大きいので、やっぱり、子供たちにいつも側にいてくれたことに感謝です。

長年、母親の悲喜こもごもを見ながら育ってきているので、感受性も強くなっているのか
私の感情に寄り添い、さらに子供たちは、いろんなことを考えながら成長してきたと思います。
共に成長できたっていうことよりも、まず私が支えてもらったっていうことの方が多いです。

その気持ちが、年と共に強くなってきてますね。

オーガニック琉球ヘナの研究で、バタバタととっても忙しい時に息子が手伝いに入ってきて、もう10年以上になります。

「今だったら手伝えるよ」って言ってくれ、一緒に研究に入ってもらい、沖縄県から研究費を助成してもらった時には書類作成やプレゼンをする場面では息子が活躍してくれました。

私が、琉球藍において植物染毛料の製造特許を取得した後は、そのライセンスを使い、息子が確実に製造を引き継いでくれてるので、万が一私に何かがあっても商品を作り続けられるっていう状況にあります。それも感謝ですね。

タイミングってやっぱりあるんですね。完全に仕上がって、それこそ会社が豊かになった状態で引き継がれても、その苦労が見えてない状態では本当に良いものを継承していくっていうことは難しいと思うんですよ。

作ってる最中の本当に大変な時期からずっと一緒にやってきた、というのは、彼にとってはとても重要なことです。

現在は、完全に役割分担をして、私は、健康サロンの方でお客様の頭皮ケア、息子の方は製造責任者としてスタッフと共にしっかり商品づくりをやってくれてます。

シングルマザーの方々や孤独な高齢者のコミュニティ広場を作ったり
モノづくりのコンサルティングにも力を入れていきたいなと思っています。

株式会社レイ企画

インタビュアー:ちゅらぷろ 阿部民子