インタビュー|人生のターニングポイントとこれから…夢
インタビュー|人生のターニングポイントとこれから…夢
宇宙塾主催 林 久美子さん

自己紹介
現在、私は福岡で「宇宙塾」の主催をしております。そこでは講座をしたり、お茶会をしたり、皆さんとワークショップをしたりしています。
目に見えないものに関心があり、心理学のようなものから始まり、ホロスコープ、生命の木、西洋東洋の星学研究をしてきました。
元々、私は地球の外から来たことを記憶したまま生まれました。生まれるタイミングも、ホロスコープのように惑星の配置を自分で作って、「このタイミングで生まれたらこの人生が送れる」というのが分かっていて、そのタイミングに生まれました。
地球でどんなテーマをするのかも自分で袋に詰めて飛び出したという記憶もあります。
主催している「宇宙塾」の始まり

元々そういったことの関連で色々研究しながらやってきました。それに関する話をしていると、教えて欲しいと言われ始めたので、宇宙塾が始まりました。
またさらに明確なそのきっかけとなったのは、「神秘主義哲学者」とも言われる松村潔さんから「林久美子の宇宙塾なんかやったらどう?」と言われたことです。
「え?」と言いながらも、そのように気にかけていたところ、ある日ソファーでうとうとしていたら雷のように意識がバーンと降りて来て「宇宙塾やる!」とすくっと立ち上がっていました。そして、私は宇宙塾を突然始めることになりました。その日のうちに講座の案内をしてその日のうちにスタートしました。
人生のターニングポイント

特殊な生い立ち
私が生まれた日は、父親が不渡りを出した「不渡り記念日」なのです。そして両親は生まれてすぐの私を乳児院か何かに預けてたようで、そのまま姿を隠しました。
しばらくして、私は改めて両親に引き取られましたが、その後ずっと住所を点々とするような生活が続きました。20代くらいまで幼少期の記憶があまりなかったのですが、次第に思い出してきました。
また、そのような中で地球外の生命体も時々会いに来たるのです。私は何度かそういった存在に会ったことがあって、夢の中でも会うし起きていても会います。目を開けている状態でも来たり、夢の中にも来て手術を受けたりすることもあります。
困難な経験
8歳くらいから親戚の家に預けられたことがあり、その家は農業と牧畜をしていて、私は豚小屋の上の屋根裏で寝ていたりしました。可愛く綺麗に言うと「ハイジの山小屋」のような感じ。
また、宿題などをする部屋がなくて、外に机が置いてあり雪がノートに舞い落ちながら勉強することもありました。日本の平均的な暮らしからすると、変わった経験がいっぱいありました。
結婚と破産
私は再婚して、結婚2回目なのですが最初の結婚の時に、当時の夫が会社を興したいと言うので一緒に始めましたがうまくいかなかったのです。私は生まれた時も大変だったけれど、結婚してからも金銭的、物質的にうまくいかない人生が始まり、最終的には破産宣告をすることとなり、法廷にも立ちました。その後、金銭が原因ではありませんが離婚しました。
自分では、この人生をある程度決めてきたことを覚えていましたが、「肉体を持ってこの体験をするのは相当きついな」と感じていました。
転機の瞬間
そのような中、自己流で瞑想を始めました。ある日、自分の奥底で勝手に喋り出す声があって、「よくここまで来たな」という感じ。
私がその時に改めて思い出したのは「とにかく退屈が嫌いだから大波小波の人生を自分で作ってきた」ということです。
例えば、ディズニーランドに行っている子供がジェットコースターなどに乗って楽しんでいるところに、「帰るよ」と言っても「帰りたくない!」というよね!と、そんなものかと、ある意味諦めがつきました。
自分に対して「もういいよ、もう好きにすれば、どんな状態でも、地面に倒れて死んじゃったとしてもそれでも許すよ」と自分に許可を出したのです。すると突然次の日に、金色の扉が目の前に現れました。まるで忍者がくるりとひっくり返るような感じで、その扉をくるりと反対側に入ると金銀の財宝がぶわーっと広がる部屋が現れました。
そのころ今の夫とは知り合っていて、彼は会社経営をしていて5代目でした。その彼もそれと同時に「突然雷のようなものが脳天に落ちてきて私と結婚しないといけない」という意識になったそうで、本当に急に結婚することになりました。
それまでの暮らしといえば、娘の入学式も全部古着で済ませ、机もお下がりでしたが、この次の日には車に携帯電話(当時はスマホはまだ無い)がやって来て、デパートで洋服を買いに行くことになりました。突然、底辺のようなところから頂上とは言わないけれど、ちょっといい暮らしに反転でした。
そのような話も含めて色々話をしていたら、ぜひ聞かせて欲しいと言われるようになり、今の宇宙塾にもつながっています。
最も辛かった時期と救い
前夫と破産するまでがかなりきつく「いつ死のうか」と思う日々が続きました。いざ「破産する」勇気が芽生えた時に気持ちが切り替わりました。(それまで返済についても色々と方法は考えつくしてはいました)
気持ちの切り替えにはなったものの、その後も何かと大変で、住むところもなく浮浪者になる覚悟を決めることにもなりました。
家はないし、実家にも入れてもらうことは叶わずのところ、私が浮浪者の覚悟ができたことが分かると、やっと母が家に入ってもいいと言ってくれました。
その日は、家に入ってすぐに雨が降ってきて、私はその時、自分が雨に濡れていないことに気がつき「私には何もないと思って生きて来たけど、これまでも屋根と壁があったことを忘れていた!」と屋根と壁に感謝して涙が自然と溢れました。改めて「有る」について気がつくような。
そのような中、ある日、目の前に金色の扉が現れてひっくり返ったような出来事があり、いきなり豊かな暮らしが始まりました。
宇宙人との接触体験

地球外の故郷と仲間たち
地球外にいた時の、星の仲間のような存在も記憶しています。「地球に行ってくるー!」みたいな感じで、周りに仲間の存在がいて、その中を私は一人で地球に向かって降りて行きました。
自分のテーマになる出来事をいくつも袋に詰めて。いざ地球に来てみると大変で、私はまだハイハイもできない寝ている状態の時にも、ずっと私の両側に銀色の存在がいました。
幼少期には私はよく幽体離脱をしていて、母親に名前を呼ばれると「あ、ちょっと体に戻っておかなきゃ」みたいな感じでヒュッと戻って返事をしていました。
不思議な体験の数々
歩行している時に、時々空間が歪むというか、ぐにゃーっとなり始めて、そのままその空間にい続けると向こうからいろんな存在がやってきます。テレパシー的に話すので、実際人間の意識が目覚めた時に詳しく何を話したかあまり覚えていないという感じでした。
幼少期はそんなことが割とありましたが、大人になるにつれて減ってきました。
またある時、ホテルにいてチェックアウトをしようとベッドから立ち上がろうとした瞬間に、目の前にそのホテルぐらい大きな宇宙船がホログラフィック状に現れました。すると声が聞こえてきて、テレパシーで「私はアシュター、あなたは船に乗る準備ができたから乗ってください」みたいに言われました。ジャバラの通路みたいなのが現れ、そこから入ろうとした瞬間に「これ何だろう?」と思ったら、ヒュんっと消えました。その時はその存在について私は何も分かりませんでした。
しかし、その15年後くらいにアメリカのセドナに旅行に行った時のガイドさんのおかげでわかりました。その方は日本人でセドナに35年住んでいる方でした。セドナは宇宙船が離着陸したり、そういった存在とも交流があるそうで、ガイドさんはそれらとよく会っているという話でした。
いざ観光が始まる朝、急にそのガイドさんが「林さん、アシュタールからの伝言です」と言われました。「あなたは以前、アシュタールに船に乗ってくださいと言われたけど断ったでしょう?」と言われ、「なんで分かるの?」と思いました。私としては断ったつもりはないけれど、向こうでは私が断ったことになっていたようです。
そのあと改めて「アシュタール」について検索するといろいろ出てきてびっくりでした。また、緑色のアメーバみたいなぐにゃぐにゃしたものが現れたこともあります。話しかけると「アーリオン」と名乗って来ました。その次の日、目が覚めて私はそれを忘れてふらりと思いつくまま本屋に行きました。パッと見渡して目に止まった本が「アーリオンからの地球へのメッセージ」という本でした。「え!いるじゃん」と思って、「そういえば昨日寝ている時に緑色のものが来ていたな」と思い出しました。
今もそういう存在がいろんな種類やってきて、心臓や喉、舌、脳の手術なども何回か受けたことがあります。夢なんだけど夢じゃないというか、具体的に分かる感じの接触が多くあります。また、自分の意識が2つ同時にあって、普通に家の近くを散歩しているのに、半分の意識は宇宙船に乗っていて別の作業をしているということもあります。
宇宙的な使命
今私は結構海外旅行をするのですが、ある時夢で幾何図形を描くように言われました。最初は「幾何図形を描く練習でもしようかな」と思っていたのですが、次の日の夢で私は地球の上を飛んでいて、上から地球を見て地球に張り巡らされているグリッドを自分で整えるようなことをしていました。
ですから、私が移動する時はそういうこともしているように感じています。例えば、ハワイに行く時も「ハワイの王族を連れ帰る」と朝起きる時に聞こえ、急に皇族の宮家のような方に会うことになり、お会いしてお話したりということが起きました。そういうことが色々と起きています。
これからの夢と伝えたいこと

宇宙的な意識の拡大
存在が目の前に現れたり夢に出てきたりすることを通じて、自分がしていることがだんだん分かってきました。意識を「日本人」「地球人」「太陽人」「銀河系人」みたいな感じで広げたところに、自分が全部に浸透していることが分かります。
例えば「日本人です」「地球人です」という意識から、それをちょっと拡大していくようなことをお伝えしていきたいと思っています。夢の中でも、常にそういうことをやっている夢を見ます。太陽系の軌道から出ようとする人を引っ張って「こっちですよ」と恒星へつながる道へ案内したり、地球から宇宙船に帰ってきた人に「あなたはあちらへ行ってください」というような案内をしています。これからも特にそういうことをしていくと思います。
これから日本が鎖国から開国になったような感じで、ますます新しいものが入ってくると思います。その感覚を事前にお伝えしたいし、そうなっていく途中のサポートもしたいと思っています。
本の出版計画
本も出してほしいと時々言われていて、例えば「地上編」と「宇宙編」という形で書きたいと考えています。これを聞いてくださる方の中でもお役に立つ部分が地上編の中にもあると思いますし、自分で今の人生を決めてきていた意識を取り戻していただけたらすごくいいと思います。宇宙編の方では、地球外、太陽系外にもいろんな世界が広がっているので、そういった面もどんどん体験していっていただけるといいなと思います。
困難な時期に対するメッセージ
「今、この瞬間しかない」と、よくいいますね。今がきつい、苦しい、もんもんとしているなどの状態の方がいらっしゃっても本当にその状況から新たな展開がありますので、是非そこを楽しんでいただきたいと思います。難しくもあったりはしますが…そこを超えて行くしかないと言いますか。
35歳までの自分へのメッセージ
幼少期は子供ゆえの生きる責任、大人的責任感みたいなものはなく親の運命の巻き添え的な感じでしたが、自分が大人になってから35歳くらいまで自己責任によるお金のない状態でした。そのどちらも合わせて35年分の自分に対して、「何が起きるか分からない、あなたの人生は波乱だけど、とても楽しいことが後々待っているから、そのままこっちまでとにかく生きてやってきて!」と言いたいです。
自分自身を制限しないことの大切さ
このような少々変わったような話をしても、周りの方に恵まれてずっと受け止められてきました。子供の時から「UFOがね」とか「宇宙人がね」という話をしても受け入れられてきたので、困ったことはありません。
しかし、今私が主催する宇宙塾に来られる方や講座に参加した方は「こういう話ってなかなかできませんよね」とおっしゃることがあります。それは、自分自身の中に「こんな話をしたらどう思われるか…」という思いがあったりします。
自分の中にそれを発見して、全部手放せるようになると、どこで何を話しても大丈夫という時がやってきます。自分が制限を加えていることがいくつもあったりします。私も色々体験してきた中で、自分が自分に制限を本当に作っていると確信しています。
何か否定的な考え、感情が浮かべば、すぐに自分をチェックするようにしています。10年ほど前、どれだけ自分の中身をくまなくチェックしても、種のようなものさえ見つからず「流石にこれは自分には関係ない、出来事のせいだ、相手のせいである」と思ったことがありました。しかしその次の日には、やはりそれが「自分の中にある考え方が生み出したことだ」というのが分かりました。結局、自分じゃないことなんて一度もなかったのです。これもみなさまへのヒントになればいいなと思います。
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いや、すごい楽しい、貴重なお話をインタビューさせていただきました。ありがとうございました。