何を引き継ぎ、受け継ぐのか?映画を通して伝えたいこと。

1話の続きです
2話へ続きます。

前回 少しお話ししましたがコロナの中 
ドキュメンタリー映画を作るきっかけについてお話しできたらと思います。

息子の出産後、腸の手術を3回ほどし、
3歳を迎える前に、夫の転勤もあり相模大野から府中へ引越ししました。

引越しの2日前に息子の定期検診で、顔色が悪いので検査すると、
普通ならば輸血が必要なぐらい血液状態が悪いことが分かりました。

造血が追いつかないのか?出血しているのか?貧血を改善する為の
服薬しながら検査することになり、
今までにない病状に不安になりながらの2020年の3月半、府中への引越しでした。

2020年1月に日本でもコロナの初感染者が出た後、
横浜でのクルーズ船での集団感染などからコロナが大きく報道され、
不要な外出、密集、密閉した所にいかないようになどの報道や
4/7に緊急事態宣言が出たとき、府中周辺のスーパーでも外出を控える為に、
買いだめする人が多く、陳列棚の食べ物が無くなったりしていました。

コロナの感染不安で、今まで自由に生活し、人と会っていたのが会えなくなったり。

スーパーの状況などが東日本大震災の放射能汚染とも重なり、震災の時の事がフラッシュバックしました。

私達は、東日本大震災と言う非常事態の時に、
放射能の不安から嫁ぎ先の土地を捨て、関東に出てきたが、本当にこれが正解だったのか? 

ずっと自問自答でした。

私は義父に「汚染された土地のお米なんて誰も食べないよ」って 

田んぼを継ぐか?継がないか?家族会議の時に言って、私たちは土地を手放したんです。

しかし、津波で瓦礫だらけだった土地も10年程経ったら
土地が改良されて今では田んぼができるようになっているんですね。

復興してきてる様子を実際に見ていると

私の判断、間違ってたんじゃないのか?

と、物凄い申し訳なさと非常時でも

大切にしないといけないものってなんだったんだろう?

という葛藤がずっと心の中にありました。


コロナ禍の非常事態宣言や夜間営業自粛など、 いつもの生活が出来なくなったり
泣く泣くお店を閉じたという人が、沢山ニュースで流れました。

東日本大震災の時は、助けてもらうだけだったけども、
今なら落ち着いて生活できるようになり、
何か自分だからこそできる事はないか?考えるようになっていました。 

コロナ禍にコンサルしていたタナカツさんに、
府中に引越したばかりで知り合いもほぼいない中でしたが、
写真や動画を撮るのに、華やかな人より神社や農家さんなど、
地道に陰日向なくコツコツ動く人などを撮影する方が自分の心動くのだけども、


私にできることは何だろうと相談したら

『ドキュメンタリー映画を撮ったら良いのでは!』

と私の中でも初めての事をアドバイスしてくれました。

2020年の4月に動画編集を習ったばかりで、映画など作ったことないし、
映画の世界も知らない私ですが、
自分の大好きな神社や農家さんなどの素晴らしさを写真や動画で表現したい。

YouTubeやインスタグラムに載せるだけではきっと埋もれてしまうけども、
映画祭という芸術作品のような1つの世界に出したら、
自分が素晴らしいと思った人たちの素晴らしさが伝わるのではないかと思ったんです。

映画なんて全く知らない世界で、吐き気が出るほどの怖さもありましたが、
日本では当たり前の世界も海外の映画祭なら
その素晴らしさを感じてくれるのではないかと思い、
フランスの映画祭を目指しました。

その当時、動画編集の先生が、映画も作っていた方だったので、
映画を作るのをサポートして頂けないか?と相談した所、伴走して頂けることになり
撮影させていただきたいところに企画書を持って、
お願いに伺うことから一歩を踏み出すことができました。


コロナで時代や生活が大きく変わろうとしていた中
人々は非常事態でも
何を大切に繋ぎ 何を守っていくのかを記録したいと思った。

なぜ ドキュメンタリー映画の撮影場所として、神社を選んだのか?

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​​

引越した府中市には、1900年以上続く大國魂神社があり、
東京でも五本の指にはいる古社で 大きな神社です。

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神職さんや職員さん達が30人ほどいる大きな神社で、
毎日、息子の体調不安がある中、
健康祈願や感謝のため参拝するのが日課だったので、
コロナの不要不急の外出は控えよと言う中でも、
神社に行くことは体調不良の息子を抱えた私にとって、
息子の健康祈願や感謝をする場所として心の安定のために必要な場所でした。

​​​​​​   (2020年6月検査入院時)

また、私の実家も福島県内喜多方の 600年以上続く諏方神社の脇にあり、
小さな頃から神社が遊び場でもあり、
東北の小さな市の神社の日常は良く見てきたことと

撮影するなら、日本人が戦争や飢きんなどの大変な時も継承してきた神社は、
どのようにコロナ禍で守って行くのか?撮影したいと思いました。

(福島県喜多方市諏方神社)


大國魂神社は くらやみ祭りという
無形文化財に指定される大きなお祭りが例年だと5月にありましたが、
それもコロナで中止になりました。

毎年、70〜80万人を超える観光客が集まる大きな太鼓や
山車が出る大きなお祭りが行われますが、コロナ禍は、
太鼓の練習は、防音の会場が密閉で使えず、
山車の鳴り物の練習は撮影開始時は密集になるので練習中止になっていました。

コロナ禍でも、無病息災、コロナ収束祈願や季節ごどのご神事を通して
毎日、沢山の神職さんが祈る姿・職員さんが清掃やご神事の準備などをしながら神社を守る姿は、
とっても素晴らしく思いました。息子の体調不安もあり、
毎日参拝に行くのが日課だったので 大國魂神社に映画の為の撮影許可をお願いして、
日々の様子や出会った方々を撮影し始めました。



(毎月沢山のご神事があり 毎日清掃や玉砂利を整えている様子は素晴らしかった)

そんな中、参拝時、出会ったのが、大國魂神社の氏子青年崇敬会という
府中市内の若い人たちと茅の輪を制作している時に出会ったり
30年ぶりに神輿に修理を出す時 府中市の本町町内の皆様が沢山見送りに集まっている時
出会い、その活動をコロナ禍撮影させて頂きました。


 

祈りの場だけでなく、食べるものを作る場も非常時でも
守らないといけない大切な場所なのではと思い、
東京農工大のサイエンスフィールドでの田んぼの実習の様子も撮影させて頂きました。

嫁いだ先の田んぼを手放した私は、
何を手放したのかも撮影させて頂きながら勉強し
また大学という大きな学びの場所で農業を研究する学生さんの様子や
府中の農家さんの様子も撮れたのはとても良かったです。



コロナ禍 1年2年と撮影していて いろんな出会いや年撮影していて  
コロナ禍 大國魂神社を守る人びとの様子を撮影しながら
福島に帰省するたびに 訪れる 南相馬市の被災した神社や生まれた地
猪苗代町でも1700年以上ある歴史ある磐椅神社を訪れると
氏子さんなく宮司さん家族で守り続けている神社や南相馬でも
神社のあった土地に震災の後、住めなくなり遠方から守りにきている方々がいることを知りました。

また ある地域の神社では、神社の管理を地域で辞めてしまい、
お祭りも行われなくなった場所も氏子も大変だから辞めますと守る人が縮小した話も聞きました。

(福島県猪苗代町 磐椅神社)

(南相馬市下渋佐 八坂神社 かつては周囲に60軒ほどあったが沿岸部のため今は人が住めなくなり遠方より氏子さんが神社を守りにくる)

 
そんな中 また大きな地震が 帰省撮影している時に重なり
沢山の神社が 壊れてしまう現状を目の当たりにし
故郷の神社を守れない事に申し訳なさと今後
故郷の神社の神社はどのようになってしまうのだろうかととても不安になりました。

(2022.3.16福島県沖地震後の各地の地震後の神社の様子)

そんな中 いろんな宮司様のお話を聴かせて頂いたり 歴史の話なども聴けたり・・・。
私自身 それまで 考え及ばなかったお話を聴け 世界が変わりました!

東京、福島、宮城、山形、沖縄、北海道、出雲、
映画の中の映像として使わせて頂いた場所は25箇所ほど
撮り溜めた映像をまとめた映画を出品期限が迫る中。

本当沢山のご縁と協力してくださる人のお陰で
昨年、フランスのナント三大陸映画祭に最終日に英訳字幕をつけて応募することができました。
残念ながら、力及ばず上映作品には選ばれませんでしたが一つ形にする事が出来ました。 

どんな想いで制作していましたか?

今回は、神社を守ってた人たちメインに
コロナ禍の様子を撮らせていただきました。

コロナ禍でも日常を守らないといけない。
日々のお掃除だったり
大きなお祭りは公にはできないけど、
御神事だけは地域のためにきちんと行っていた

土地の神様を大事に守っていること
地域の五穀豊穣を祈ること、平和祈願
コロナ禍は 無病息災・疫病退散と
地域や日本中の人たちのことを祈ってくれている

自分の知らないところで 
自分のことも
誰かが祈っていてくれている


なんで日本人は祈るんだろうとか考える機会にもなりました。

撮影で出会った方々は
皆さん、ここを守るっていう、気持ちでやっていて、
コロナ禍でも、たくさん会議して、
コロナの感染状況が変わる中いろんな行事をやる、
やらないを話し合っていたりする場を見せて頂いたりしました。

いろんな神社の掃除、日常やお祭りのお手伝いをする様子を撮らせて頂くと
自分の事だけでなく周りのことを考えて動いてくださっている。


大きな神社も小さい神社さんのご苦労もお聞きすると
こんなふうに日本は 各地の神社など、祈りで守られてるのではとも思いました。

そういう中で、皆さん頑張っているので
今後、高齢化、少子化 災害などの中で
引き継ぐことも厳しくなることも多々出てくると思うんですけど
その中で、何を取捨選択、何を大事にしないといけないのか
感じたことを映画の中でまとめてみました。


今年の1月、能登半島の地震もあり、各地の神社、個人や地域のこと、
多分、災害などがあった時など 何を引き継いで行くか?行かないか?
迷うこともあると思うのですが、そんな時、
今回のドキュメンタリー映画「継承」が一つの参考になったら嬉しいなと思います。

また、神社もお祭りのような華やかな部分にスポットが当たりやすいですが
それを行うまでの日常、日々、清掃や祈りをしながら 人の目につかない中
全国各地で神社を神職さん達だけでなく地域の方々など 
守っている人が人手が少なくなりながらも頑張ってくださっているかたがいること。

故郷や今住んでいる土地のこと
今まで守ってくれた方々自分に繋がる様々なことを
映画を見ながら思いを馳せて頂けたら嬉しいです。

また、沢山の神社などを撮影しながら、
日本人にとって「祈り」とはなんなのか?
また、何を引き継いで来たのかな?沢山の出逢いの中、教えて頂きながら、
考えながら、撮影編集しまとめていきました。

昨年、フランスの映画祭に英訳字幕で応募した後、実は力尽きてしまいました。
今年は、日本でも上映会が出来るように、
日本語版も再度編集を整えていきたいと思います。

各地で上映会主催しても良いよという方いらっしゃいましたら、お声がけ下さい。
是非是非、応援の程よろしくお願いします。

映像監督・アーティスト 数間よし乃さん
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